京都地方裁判所 平成3年(ワ)2288号 判決 1992年11月24日
原告
高橋靖夫
ほか三名
被告
西田義雄
主文
一 被告は、原告高橋靖夫に対し、金六一万〇九七〇円及びこれに対する平成二年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告高橋靖夫のその余の請求及び原告高橋義子、同高橋和靖、同高橋和子の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを五分し、その三を被告の、その余を原告らの負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の請求
被告は、原告高橋靖夫に対し、金七七万八八六〇円及びこれに対する平成二年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
被告は、原告高橋義子、同高橋和靖、同高橋和子に対し、各金一〇万円及びこれに対する平成二年一二月二九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、反対車線から中央線を超えて進入し衝突された普通乗用自動車の運転者及び同乗者が、加害普通乗用自動車の運転者に対し、民法七〇九条に基づき、修理費等の賠償及びそれぞれの精神的損害についての慰謝料を請求した事件である。
一 争いのない事実
1 交通事故の発生(以下「本件事故」という。)
(一) 日時 平成二年一二月二八日午後七時三四分ころ
(二) 場所 京都府長岡京市馬場二丁目六番地一二号先
(三) 加害車両 被告が運転していた普通乗用自動車(京五九ね四〇八七、以下「被告車」という。)
(四) 被害車両 原告一男が運転し、原告靖夫が所有していた普通乗用自動車(京都三三て二六九三、以下「原告車」という。)
(五) 事故態様 被告車がゆるい左カーブにおいて反対車線に進入し、赤信号のため停止している自動車の列の後尾に停車しようとしていた原告車の右前側面部に衝突した。
2 被告の責任
被告には、酒気を帯びて運転した上、前側方の注視を怠り、また、ハンドル及びブレーキを的確に操作しなかつた過失があり、民法七〇九条により、原告の損害を賠償する義務がある(なお、原告らは自賠法三条も主張しているが、本件事故は人の生命又は身体に損害を生じさせたものではないから、原告らの自賠法三条の主張は失当である。)。
二 争点
1 物損についての損害額
2 原告らの「臨死の恐怖」に対する慰謝料
3 物損に対する慰謝料(評価損が認められない場合の予備的請求)
第三争点に対する判断
一 物損についての損害額
1 修理費 四九万七〇三〇円(請求額のとおり)
本件事故による原告車の修理費が右金額であることは当事者間に争いがない。
2 タイヤ交換費用(請求額五万七〇七五円) 〇円
原告靖夫は、本件事故により原告車右前輪タイヤが損傷を受け、取り替えたが(その費用は1の修理費に含まれる。)。原告車は本件事故当時すでに約二万キロメートルを走行しており、その他のタイヤも相当磨耗していたため、新しくする右前輪とのバランス上、これらも取り替える必要があつたとして、三本分のタイヤ取替費用として右金額を請求しているけれども、原告靖夫が原告車の修理を依頼した修理業者である訴外カーライフ長岡は、右前輪タイヤの取替えで足りると判断していると考えられること(乙五)、原告車のタイヤの具体的な磨耗の程度は明らかでなく、すべてのタイヤを取り替えないと走行の危険を生じさせる可能性があると認めるに足りる証拠はないことなどを総合して判断すると、原告靖夫主張のように本件事故により原告車のすべてのタイヤを取り替える必要があつたと認めることはできない。
3 評価損 一一万三九四〇円(請求額のとおり)
証拠(甲九)によると、本件事故による原告車の減価額が右金額であると認めることができる。
被告は、本件事故による原告車の損傷の程度は比較的軽いものであること、事故後十分な修理が行われデイーラーによる点検を経たものであるから、将来の走行の安全性に問題はないことを理由として、評価損を認めるべきではないと主張しているけれども、原告靖夫が請求の根拠としている事故減価額証明書は、自動車価格の査定に関する第三者的機関である財団法人日本自動車査定協会が作成したものであること、事故歴のある自動車はたとえ完全な修理により将来の走行の安全性に問題がないと考えられる場合であつても、一般的に事故歴のある車は嫌がられ、中古車市場における価格は低下すると考えられること、原告らの請求額は1で認定した修理費の約二割程度であり、不相当なものではないことなどの事情に照らすと、被告の主張は採用できず、原告らの請求どおりの評価損を認めるのが相当である。
4 査定料(請求額一万〇八七五円) 〇円
原告靖夫は、3の評価損の査定に要した費用を損害として請求しているけれども、これは原告らにおいて3の損害額の立証のために支出した費用にすぎないものであつて、本件事故と相当因果関係のある損害として、これを加害者に負担させることは相当でない。
二 原告らの「臨死の恐怖」に対する慰謝料
1 原告らは、被告車が原告車に向かつて突進してきて衝突し、衝突の余韻が覚めるまでの間、臨死の恐怖に襲われたとして、各自の精神的損害に対する慰謝料の支払いを請求しているので、以下この点について検討する。
2 証拠(甲二の1~6、検甲一~六の3、乙三、四、七、八、原告高橋靖夫本人)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
(一) 本件事故現場付近の状況は、別紙図面のとおりである。
(二) 被告は、本件事故当日は仕事納めであつたため、午後六時ころから勤務先で酒を飲み始め、午後七時三〇分ころまでビールや日本酒を飲んでいた。
被告は、同日午後七時三〇分ころ、自宅に帰るために、被告車(ホンダシビツク一五九〇cc)を運転し、別紙図面右側交差点を右折し、同日午後七時三四分ころ、本件事故現場にさしかかつた。
(三) 被告は、現場道路が被告側からするとゆるやかに(約一五度)左へカーブしているにもかかわらず、交差点を右折した後ぼうつとした状態で時速約三〇又は四〇キロメートルの速度で漫然と直進したため、道路が曲がり始めた部分から反対車線に進入し、別紙図面<×>地点で対向して進行してきた原告車の右前部に、被告車右前部を衝突させた。
(四) 一方、原告車の方は、本件事故当時、原告和靖が原告車(トヨタクラウンV8ロイヤルサルーン三九六〇CC)を運転し、原告靖夫は助手席に、原告義子が運転席の後部座席に、原告和子が助手席の後部座席に、それぞれ乗車していた。
原告和靖は、進路前方交差点(別紙図面右側交差点)の信号機が赤色を表示しており、数台の車が交差点手前で停止していたため、その後に停止するべく減速し、停止寸前の状態にあつたところ、被告車が前方約八メートルに迫つた時点で反対車線から直進進入してくる危険を感じ、とつさにハンドルを左にきつたが間に合わず、被告車右前部が原告車右前部に衝突した。原告らが衝突の危険を感じてから衝突するまでの時間は約一秒である。
(五) 被告車は、原告車の右前方約一五ないし二〇度の角度から原告車右前角部に衝突し、原告車右前輪部まで食い込んだ上、衝突の衝撃で道路左側車線に戻り、約一〇メートル進行して停止した。
被告は、同日午後八時三五分に行われた呼気検査の結果、呼気一リツトル中〇・四五ミリグラムのアルコールが顕出され、酒気帯運転として刑事及び行政処分を受けた。
(六) 本件事故により、原告車は、右側面前部において、フロントバンパーからフロントフエンダー前部及び右前輪に変形、破損、擦過痕が生じたが、車体右前部に対する衝撃力が大きいときに変形が波及するエンジンフードやフエンダーエプロン等には破損は生じなかつた。
原告車の主な修理内容は、フロントバンパー一式、ラジエターグリル、右フロントフエンダー、サスペンシヨン一式、ステアリングギアー等の交換とラジエターコアサポートの軽微な鈑金であり、修理費用は合計四九万七〇三〇円であつた。
(七) 原告らは、被告車の速度について、時速約五〇キロメートル以上と主張しているけれども、両車が衝突した地点は被告車が右折した交差点から約七〇メートルの地点であり、交差点からはゆるやかな上りになつていること、衝突による原告車の損傷の内容は(六)のとおりであり、比較的軽微なものであること、被告車はほとんどノーブレーキで原告車に衝突した後約一〇メートル進行したのみで停止していることなどを考え併せると、本件事故当時の被告車の速度は、原告ら主張のように時速五〇キロメートル以上であつたとは考え難く、せいぜい時速三〇又は四〇キロメートルであつたと認めるのが相当である。
3 民法七一〇条は、「他人ノ身体、自由又ハ名誉ヲ害シタル場合ト財産権ヲ害シタル場合トヲ問ワス前条ノ規定ニ依リテ損害賠償ノ責ニ任スル者ハ財産以外ノ損害ニ対シテモ其賠償ヲ為スコトヲ要ス」と規定しているが、右規定は、原告らが主張するように、他人を怖い目に合わせた者は当然にその他人に慰謝料を支払うべきであると解することは相当ではなく、あくまで、不法行為と相当因果関係のある非財産的損害に対する賠償責任を規定したものであつて、本件のような交通事故の場合において人損又は物損による精神的損害とは別の独立した精神的損害を認めるためには、事故の態様や被害の内容、程度等を総合して考慮し、合理的な通常人において死の恐怖を抱くものと客観的に認められる場合に限り、事故と相当因果関係のある精神的損害として、慰謝料の支払義務が発生すると解すべきである。
そこで、2で認定した事実に基づき検討するに、本件の加害車両は排気量一五九〇CCの小型乗用自動車であるのに対し被害車両である原告車は排気量三九六〇CCの大型乗用自動車であること、被告車は時速約三〇ないし四〇キロメートルの速度で原告車の右斜め前方約一五ないし二〇度の角度から原告車の右前角部から右前輪にかけて衝突したものであつて、原告車の正面から衝突したものではないこと、衝突の衝撃及び原告車の損傷の程度は比較的軽微なものであること、本件の衝突により原告車に乗車していた原告らの身体には傷害を生じていないこと、原告らが衝突の危険を感じてから衝突に至るまでの時間は約一秒程度であることなどを総合して判断すると、たとえ原告らが主観的にはある程度の恐怖感を覚えたとしても、客観的には本件事故は被害車両の運転者及び同乗者に死の危険を感じさせる程度のものとは認められず、原告らに本件交通事故と相当因果関係を有する独立の精神的損害を認めることはできないというべきである。
原告らは、本件事故は夜間の事故であり、原告らからすると、被告車のヘツドライトが見えるだけで、自動車の形状等は判別することはできず、まさに正面から衝突してくる恐怖感を覚えたとか、約一秒間であつても死の恐怖を覚えるには十分な時間であるなどと主張しているけれども、先に述べたように、原告らにおいて瞬間的にある程度の恐怖感を覚えたとしても、客観的には被害車両の運転者及び同乗者に死の危険を感じさせるような事故であつたとは認められないのであつて、原告らの主張は先の認定を左右するに足りるものではない。
また、原告らが引用する東京地裁昭和四五年四月二〇日判決及び大阪地裁昭和四八年三〇月三〇日判決は、早朝又は深夜に自動車が被害者の居宅又は店舗に飛び込みこれらを損壊したという事案に対するもので、加害の方法・状況等からして特に被害者に顕著な精神的打撃を与えた場合であつて、先に述べたように比較的軽微な物損事故である本件とは事案を異にするものである。そして、物損に基づく慰謝料請求については、財産上の損害が賠償され現状に復すれば同時に物的損害による精神的苦痛も慰謝されたとみられ財産的損害の賠償だけではなお慰謝されない精神的苦痛が残存するという特別の事情がある場合に限り物的損害にとどまる場合でも慰謝料を求めることができるものと解するのが相当であるから、これらの裁判例との比較においても原告らの主張は採用できない。
4 したがつて、原告らの「臨死の恐怖」を理由とする慰謝料の請求は認められない。
三 結論
以上を合計すると原告靖夫の損害は六一万〇九七〇円となる。
したがつて、原告高橋靖夫の請求は右金額の限度で理由があるからこれを認容し、同人のその余の請求及びその他の原告らの請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 岡健太郎)
別紙 <省略>